クリスチャン・ディオールは1905年、フランスのノルマンディーで裕福な実業家の家に生まれる。外交官を志して、政治学院に学ぶが、在学中に当時、台頭していたシュールレアリスムに魅せられ、友人と画廊を開設。ダリやコクトーなど多くの芸術家と親交を深めるが、30年代の恐慌に見舞われ失職。このとき、友人からデッサンを習い、1938年、ロゲール・ピゲに見込まれてファッション界に入る。
後に、ルシアン・ルロンのメゾンへ移るが、46年、マルセル・ブサックの出資を受けて、12月にクリスチャン・ディオール・オートクチュール・メゾンが誕生した。ブサックは、繊維業界で成功したフランスの大富豪で、当時「コットン王」と呼ばれていた。ディオールはプサックに「エレガントな女性と最上級な女性のためのクチュリエになりたい」と語ったと伝えられている。この時、ディオールがプサックに会いに行く途中、ディオールは道に落ちていた星型の馬車の部品につまずく。それを拾って、ポケットに入れたままメゾン設立の夢を語った。以後、星はディオールのラッキーモチーフとなる。
47年、ディオールは初のコレクションで「コロール(花冠)ライン」を発表。これを、ハーパース・バザール誌の編集長カーメル・スノウが「ニュー・ルックだわ」と呼び、この名前が広まる。ニュールックは、丸みを帯びた肩に胸、ウエストは細く絞られ、スカートは布を贅沢に使い(戦後すぐでモノがあまりない時代に)、ペチコートで膨らませたラインが踵まで伸びる女性らしさを引き出した華麗なスタイルだった。シャネルによって機能的な美しさがアピールされた後に、ディオールはフェミニンな美しさを改めて強調したのである。
1948年にはアメリカにおいてライセンス生産を開始。アメリカに「クリスチャン・ディオール・ニューヨーク」という別会社を作り、そこがニューヨークの靴下会社プレスティージ社と契約し「クリスチャン・ディオール」ブランドのナイロンストッキングの製造を許可した。これが、ブランドによるライセンス販売の先駆けとなった。後にライセンスはネクタイ、下着、ソックス、アクセサリーと徐々に増えていった。
オートクチュールだけでなく、アメリカの既製服業者と組んで、ディオールのデザインによるドレスを高級既製服、プレタポルテとしてアメリカでの製造・販売を開始した。オートクチュールからプレタポルテへと拡大することで、ディオールはビジネスとしても成功させたのである。
続いて、48年、ジグザグライン、50年パーティカルライン、51年オーバル、53年チューリップ、54年Hライン、55年Aライン、56年アローラインと次々に発表し、センセーショナルを起こした。このシーズンごとに新しいラインを名前で発表するというのもディオールがはじめた。これはマスコミにも受け入れやすく、一般大衆にもわかりやすくする意図があった。ディオールは自らの仕事を「伝統を新しさの中に生かすこと」と語っている。
1957年10月24日ディオールは53歳の若さで心臓発作により急逝する。メゾンは若干21歳のイブ・サンローランが引き継ぐことになった。これにより、デザイナーの死後もメゾンは残り、ブランドを引き継ぐというビジネスモデルが成立することとなった。
サンローランは、確立されたメゾンの高度な技術に独創性を加え、初めてのコレクションでトラベーズ(台形)ラインを発表。多くの顧客に支持されたが、その後のホブル・スカート、60年秋冬の「ビートライン」は顧客には不評。サンローランがアルジェリア戦争に徴兵されたのを機に、オーナーであるブサックは彼を解雇した。そしてマルク・ボアンをデザイナーに起用した。
マルク・ボアンは当時34歳。ジャン・パトゥのアシスタントだったときにディオールのロンドン店のデザイナーとして引き抜かれ、61年「スリムルック」、67年「サファリルック」、70年「マキシルック」で、従来からの顧客の支持を受け、デ・ドヌール賞も2回受賞した。
しかし、革新性にかけたデザインは徐々に衰退し、1968年には48年に設立された香水部門である「パルファン・クリスチャン・ディオール」がモエ・へネシー社に買収され、78年には親会社であるマルセル・ブサック・グループが倒産した。ブサックは流通大手のウィロ兄弟によって救済され、アガッシュ=ウィログループに入るが、80年ブサックの死後、81年には公的救済(この時期のフランスは社会党政権)を求める事態となった。
1984年、ここにベルナール・アルノーが登場。アルノーはフランスの投資銀行ラザール・フレールと組み、ついにブサック・グループを買収し、1985年4月1日、傘下のクリスチャン・ディオールを手に入れ、自らが社長となった。そして、1989年5月、次のデザイナーとして、イタリア人のジャンフランコ・フェレをオートクチュールとレディス・プレタポルテ、アクセサリーの責任者に迎えた。フランスのブランドがイタリア人をデザイナーに起用したことへの反発もあったが、89年7月のフェレによる初めてのコレクションである89A/Wオートクチュールコレクションにおいて、「ニュールック」をモチーフにしたデザインを発表し、デ・ドール賞を受賞。不安を一気に吹き飛ばした。
アルノーはライセンス生産も絞り込んだ。90年アルノーはLVMHの社長に就任。そして、96年ディオールは次のデザイナーとして、ジョン・ガリアーノを指名。当時、ガリアーノは同じLVMHグループの「ジバンシー」のデザイナーだった。ガリアーノは、アヴァンギャルドさが話題を集めたが、一方で、カッティングとバイアスの確かさにも定評があり、古典や世界中の衣装から、そのときのトレンドアイテムを巧みに自分のコレクションに取り込む能力が高く評価されていた。
ディオールに移る前に2シーズンだけジバンシーのデザイナーを勤め、ついに97年春夏、初のディオールコレクションを発表。ちょうど、ディオールが「ニュールック」を発表してから50年にあたり、ガリアーノは現代版ニュールックを発表。丸い肩で胸を強調し、パッドを入れた腰に細いウエスト。スカートがミニになったのが、現代らしさを表している。また、このときのテーマは「マサイ族」であり、後にこれが香水「ジャドール」につながった。
2000年春夏コレクションでは、ボロ布ドレスを発表。コレクションではモデル一人につき、1体のアイテムしか使用しない(モデルは着替えずに、着るのは1着のみ)という贅沢なコレクションで、オートクチュール、プレタともに、現在のトレンドをリードする一人である。メンズだった。メンズラインは「ディオール・ムッシュ」のチーフデザイナー、パトリック・ラヴォワを経て、現在はエディ・スリマンが「ディオール・オム」を担当している。
日本国内では、1953年に大丸と提携してファッションショーを開催して進出。ちなみにこのショーは日本で始めて行われたファッションショーともいわれている。その後、カネボウが独占販売権を獲得。長くライセンス生産を行っていたが、LVMH社のライセンスを絞る方針により、97年2月7日ディオールはカネボウとの契約を同年4月30日に解消すると発表。自ら輸入品を販売することとなり、97年秋冬をもってライセンス生産は終了した。当時、カネボウのディオール関連売上は500億円に上るといわれており、紳士・婦人服だけでなく、ストッキングやソックス、ベビー服、本国にはないゴルフウェアまで多岐にわたっていた。
クリスチャン・ディオール社は97年、銀座・並木通りに旗艦店をオープン。ガリアーノも来日した。
2003年3月6日、ディオール・オム初のショップが伊勢丹新宿にオープン。同年6月革グッズの新シリーズ「ハードコア・ディオール」を発表。バッグの素材は柔らかいシルクジャージーながら、金具で全体を引き締めた新ライン。
2003年12月7日には青山に銀座を上回るLVMHの拠点とも呼べる、ブティックをオープン。建設中から、それを覆うボードでシーズンごとのコレクションを発表し存在感を発揮。屋上にはディオールのラッキーモチーフである「星」が飾られる。地上4階、地下1階にメンズ(ディオール・オム)、レディス、バッグ、シューズ、ファインジュエリーまでそろうフルラインショップ。地下1階がディオール・オム。1階にアクセサリー、革小物。2階に婦人服、ジュエリーにVIPルーム。3階が世界最大面積の化粧品売り場。エステティックやネイルカラーのコーナーも設ける。化粧品売り場は、ファッションショーの楽屋裏をイメージした内装。エステティックやメーキャップ、ネイルカラーはいずれも有料で、ファッションショーのイメージを生かした化粧やマニキュアなどをしてもらえる。4階がイベントスペース。
表参道店限定バッグは「Dior Star」。カラフルなプリントにCDのロゴ、モチーフの星が付けられたもの。同時に同モチーフのキーケース、財布も先行発売された。
2004年10月24日には銀座晴海通り店がオープン。
2005年4月28日、大阪・心斎橋に西日本最大級の旗艦店、心斎橋店をオープン。地上2階地下1階で御堂筋に面しており、店の前面にはディオール本人の時代から店内の椅子などに用いられたカナージュ模様が施され、店内には、顧客専用の部屋も用意された。
日本でのディオールの売上は全世界の15%を占めており、ディオールでは2007年までに販売を2倍にすることを計画している。
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